冷え切った低い空にぽつんと太陽が浮かんでいた。光を受けつやつやと輝く表面に鮮やかな原色が乗る上部がソフトクリームみたいで美味しそう。アメリカの美的感覚を総動員しても、そんな感想しか思い浮かばない。ごてごての調度品が所狭しと飾られた巨大な宮殿は、建てられてから随分と経つというのに艶やかな色を纏ったままだった。
窓の奥に見えた、暗闇の中にちらほらと灯る銅色のランプを眺めながら、革張りのソファに腰を沈める。話し相手の一人もいない、このやけに広々とした部屋に押し込まれてから、もう何時間になるだろうか。アメリカはただ恋人であるロシアを訪ねてきただけだと言うのに、まるで爆発物と書かれたダンボール並みの待遇だと米神の辺りを爪で掻いた。事前に連絡を入れなかった事だけは反省するが、ロシアも、ロシアに住まう人々も、もちろんこのクレムリン宮殿に従事する誰一人として傷つけるつもりなどありはしない。
壁に掛かった片腕程もある金縁の時計を見やれば、キッズ向けのコメディ番組が流れる時間がとっくに過ぎていた。廊下で忙しなく動いていた気配だって、1時間も前から綺麗さっぱり消え失せ、宮殿内で頭を使っているのは、せいぜいアメリカが放り込まれた部屋の外扉に貼り付く警備員くらいだ。もしかしたら、ロシアと会せる事無く、待ち飽きたアメリカを帰らせる手筈なのだろうか。嫌な結末が脳内を過ぎり、なんとか回避しようとアメリカは腰を上げ、唯一の出入り口である紅色が塗られた扉に手をかけた。
「お待たせ」
バン。大げさではない、確かに何かがぶつかる鈍い音がした。ロシアは首を傾げながら、たった今、自分が開いた扉の内を覗き込む。
「アメリカ君、床じゃなく、て・・・ソファに座ったらどう、かな?ふふっ・・・床が好きなら無理強いは、しないよ」
赤くなっているだろう額を押さえながら、元凶であるロシアを睨み上げようとアメリカが口を開くが、鼓膜を振るわせた声が常よりも甘ったるく伸びていたことに違和感を覚える。立ち上がり、ほんの少しだけ上にある筈の紫色の目を探した。
「アメリカく、ん。久しぶり」
「君、酔っているのかい?」
元より白い肌をこれでもかという程に染め上げ、柔らかいプラチナの下一面をピンク色が覆っていた。薄っすらと額に浮かぶ汗を撫でる様にロシアの前髪をたくし上げ、アメリカは手のひらから伝わる熱に顔を顰めた。指先にふるふると揺れる脆さを感じ、ロシアの手を引いてソファまで誘導する。ロシアにとって飲兵衛とは蔑みの言葉ではなく事実でしかない。恋人を長時間放置して、アルコールに溺れていたのかい。アルコールと黄色い花を心から愛していることは知っているし、慣れた事だけれど、溜め息の一つくらい吐いても罰は当たらないだろう。ぼふん、と重い音をたたせてロシアの身体が埋もれた。隣に座れば、当たり前の様に肩へこてんと首が乗る。耳たぶの下に細い髪の毛が当たり、擽ったさに身を捩った。
「酔うなんて珍しいじゃないか」
咎める様な色を声音に乗せ、アメリカの口が息を吐く。
「酔ってないよ・・・僕が酔う筈ないじゃない」
「どう見たって、酔っ払いなんだぞ」
「酔ってないってば!」
むう、と頬を膨らませながら更に身体を寄せてくるロシアに、アメリカが僅かにたじろいだ。素面のロシアがこんなことをしたら、次の日には空からフランスが降ってくる。そう信じ込めるくらいの珍現象だ。肩に乗った頭がぐりぐりと押し付けられて、ぴしりと凍る。対処法が見つからない。如何せん、された事がないのだ。抱き締めていいのだろうか、それとも水でも貰いに部屋を出るべきか。手を拱いていると、控えめなノックの後に見慣れたカーキ色がひょこりと現れた。
「ロシアさん!裏の倉庫にあったウォトカがごっそり無くなっているんですが、あなたまさか・・・・・・、!」
半ば非難するような声を上げたリトアニアが一転、アメリカにべったりとくっつく元上司であるロシアを認め、器用に顔を赤らめたり青褪めたりしながら目を瞠る。ほんの1分前のアメリカ以上に凍り付いたリトアニアは、大国らしかぬぽかんとした顔に嵌るアイスブルーとかち合った視線を無理矢理引き剥がし、慌てて有能な元部下に戻った。
「・・・・・・お邪魔しました」
部屋の中に乗り出した半身を極力扉から離さないように、ぺこりと首だけで一礼し踵を返す。
「あっ、リトアニア・・・!」
そのまま走り出そうとした薄い背中に、無情にも待ったがかかった。過去に親しい付き合いがあるとはいえ、合衆国であるアメリカを無視することは出来ない。恐る恐る振り返ったリトアニアの顔には、引きつった笑みが添えられていた。
「す、すみません。邪魔するつもりは」
「いや、その・・・」
口ごもってしまうのは仕方ないことだろう。アメリカとリトアニアの間に無視できない酔っ払いが挟まっているのだ。痛くなる頭と胃を奮い立たせながらリトアニアが深く息を吸った。
「その様子だと15分もしたらロシアさんがへばると思うので、眠ってから隣の客室へ。たぶん、起きている間は我が儘し放題なので・・・」
まるで何度も経験した事のようにスラスラと言葉を綴るリトアニアを見て、アメリカの胸元にちくりと罅が入る。
「・・・アメリカさん?」
「分かったよ、ロシアは任せてくれ」
「はい・・・お願いします」
アメリカの返答に安心したのか、顔を綻ばせたリトアニアは「では、失礼します」と一言残して扉の向こうへ消えていった。
「・・・ん、っめ、りかくん?」
ぼんやりと重そうな瞼を持ち上げ黙り込んだアメリカを見上げ、訝しげな声を出す。リトアニアの予想通り15分後には目も口も思考も閉じて、夢の中を漂っているロシアが易々と思い浮かんだ。崩れかかった上半身を左肩に持たれかけさせたまま、ロシアの太ももに放り出された手にアメリカの手を重ねる。握ろうとして動いた指先が止まってしまったのは、胸を刺した罅に戸惑ったから。
「リトアニアは・・・ロシアの事をよく知っているんだね」
ぽつりと落ちた言葉は、隠すことすらしないアメリカの心に生まれた蟠りだった。急に言われても、今のロシアにはアメリカの意図を先読みする事も、上手く呑み込む事も出来ない。次の言葉を催促するように緊張の抜けた首を少しだけ上げた。
「きっと、俺よりよく知っている・・・俺が知らないのにリトアニアが知っていることは、たくさんあるんだろう?」
「・・・・・・」
「ヒーローが嫉妬なんて情けない感情は持たないけど、でもさ」
台詞だけ抜き出せばいつも通りの我が道を行くアメリカで。けれど、覇気のない声音は、アルコールで燻ったロシアの脳にするりと入ってきた。
「・・・僕だってそうだよ」
聞こえてきたのは、少しだけ舌っ足らずなベルカントを漂わせる音。
「アメリカ君を見てきた人に・・・嫉妬してる・・・ねえ」
僅かな重みを確かめるように、ロシアの指先がアメリカの指先と交互する。手のひらが深く触れ合い、じんわりと暖かさが伝わった。
「君はどんな顔を見せてきたの。小さな君は何を思って泣いていたの。一人きりの夜に誰を想って眠ったの」
「ロシア・・・」
「選択肢に僕がいないんだもの、悲しいなあ・・・切ない、よ」
ぎゅう、と絡まり合う真っ白な肌を見やりながら、肩に乗るつむじに唇を落とした。ふわふわと頬へ泳ぐ毛先が心地よくて知らず知らず笑みが零れる。
「君も可愛いところがあるじゃないか」
リップ音を鳴らしながらキスを受けた頭のてっぺんに軽口が滑り込む。ロシアは思わずぱちくりと瞬きした。
「・・・はあ、アメリカ君に空気を読むなんて高度な芸は出来ないよね。僕、知ってたよ。」
「失礼じゃないか」
「ふふっ」
「なんだい」
「15分、経ったね」
ようやく起き上がったロシアが言う。含んだ意味を理解してくれるかな、探るような目つきがアメリカの罅割れた胸元を優しく撫でた。
20101230