世界会議が予定時刻より早く終わり、イギリスやフランス達と飲みに出たのが全ての間違いだった。早々に酔っ払った二人が店内で暴れ始め、放ったらかしにする訳にも行かず、ズルズルと無駄な時間を過ごし気づいた時にはバスも電車も営業時間を終えた午前0時。上司から宛がわれたホテルへは辿り着けず、林に埋もれかかった見るからに古いモーテルで一晩を明かすことにした。
髪の毛や肌に染み付いたアルコールの匂いが鬱陶しくてシャワーを浴びようとしたけれど、蛇口は錆付き、捻ってみてもうんともすんとも反応がない。日付が変わる前に交通機関がストップする田舎町の隅に佇むモーテル。一晩25ドルで泊まれるだけでも幸運だったと思うことにしよう。自分自身に無理矢理言い聞かせてバスルームを出た。
寝返りをして、冴えた目を枕に擦り付ける。
「眠れないんだぞ・・・」
脳裏にべったりと貼り付いたおぞましい光景は、ほんの30分前に観たホラー映画のワンシーン。想像力が豊か過ぎるからなのか、幽霊を目前にして絶叫する女優とシンクロしたまま一向に眠気が襲ってこない。終電を逃す原因を作ったおっさん二人を怨めばいいのか、なんとなくテレビの電源を入れた自分を怨めばいいのか。モノトーンの古ぼけたフィルムが不気味さを一層際立て、同時にアメリカの闘争心を掻き立てた。ここで電源を切ってしまったら、まるでホラー映画に怖気づいたみっともないヒーローのようではないか、と。日本はとっくに眠ってしまっているだろし、リトアニアもいない。アメリカの脳内で袋小路に追い詰められた女優が絶命したところで堪らなくなって跳ね起きた。
「ホットミルクでも買いに行くか」
ロビーの自販機にあったはず。平屋が連なる細長い構造のモーテルの一番奥がアメリカの部屋。ロビーに着くまでに明かりの灯る部屋があれば押し入って一緒に寝かせてもらおう。我ながらナイスアイディアじゃないか、と笑みを溢しルームキーと財布を持って部屋を後にした。
午前2時になりかかった刻。会議疲れとアルコール摂取により、未だ起きている国家などいる訳もなかった。人工的な明かりは一切ないまま、月光に照らされた廊下が途切れ、円形のロビーに足を踏み入れる。受付には誰もおらず、蛍光灯も落とされしんと静まり返った空間がアメリカを受け入れた。自販機から漏れる薄明かりを辿って視線を巡らせた先に、ぼんやりと白い輪郭が見え思わず息を呑む。のっそりと背中を向けたまま動かないそれがロシアだと気づいたのはファイティングポーズをとってからだった。
「なに・・・してるんだい?」
「僕の部屋、暖房が壊れてるみたいで凄く寒くてさ。眠れないからウォトカを買いに来たんだ」
振り向かずにポツリと吐かれた言葉は白くなった吐息に混ざってすぐに消えてしまう。
「君は、アメリカ君はなにしてるの?」
「ホラーっ・・・ロ、ロシアと同じさ、俺も眠れなくてね。ホットミルクを買いに」
「ふふ、死霊の屋敷だよね。僕も少しだけ観てた」
「なんだ。ロシアも怖くて眠れな」
「僕は寒くて眠れないの。チープな作り物じゃ怖くないよ」
「・・・そうかい」
「部屋に戻るよ」
ようやく振り向き、アメリカの脇をすり抜けるように通ったロシアに違和感を覚え、思わず腕を捕らえた。いつも巻いているマフラーにコート。暖房が壊れていて部屋でも寒かったのだろう、しっかりと着込んだロシアからはアルコールの匂いは少しもしなかった。驚いて目を見開いた顔は酔いで染まるどころか平素よりも青白い。
「・・・アメリカ君?」
「ほとんど売り切れじゃないか」
田舎の廃れたモーテルに似つかわしい。赤い×印が並んだボタンの中に、ぽつんと緑色の○印が浮かぶホットミルクの見本が前面の透明なプラスチックに倒れ掛かっていた。
「俺の部屋で寝るかい?暖房は熱いくらいきいているよ」
「正気?同じ部屋で寝るなんて」
「俺は怖くて眠れない、君は寒くて眠れない。ちょうどいいじゃないか」
「・・・そうだね。ちょうどいいかもしれないね」
「君の語尾に、俺の寝首をかくには、って聞こえた気がしたんだぞ」
「ふふっ」
寒さに強張った頬が解けるようにふわりと笑んだ。
暖房をかけたままの部屋は暖炉に囲まれているようで、二人で眠るには流石に熱過ぎると設定温度を確かめる。扉脇の壁に嵌め込まれたスイッチのボタンを2回押してから中へ進んだ。アメリカの後を追うようにロシアが続く。出入り口からメインルームまでの1メートルほどの短い廊下の途中にバスルームとトイレがあるだけのシンプルな作りだ。
「あれ、ベッドが一つしかないよ」
概観のデザイン重視により削られた壁が二つ目のベッドの搬入を拒否し角部屋は一人用。セミダブルとは言え、大の男が二人寝転がるには少々きつい。
「シングルなんだから当たり前じゃないか」
「・・・・・・」
無言のままコートを脱ぎ始めたロシアの首元へ指を差した。
「その長いマフラーも取ってくれよ。間違って首を絞めても怒らないなら、そのままでもいいんだぞ」
平均的な男性よりも分厚いアメリカの身体を上から下まで眺めて溜め息を吐く。寝返りでもして絡まったら面倒な事態になることは容易く想像できた。ベッドの脇にどっかりと座り込んだ一人掛けのソファにコートと上着をかけ、その上に折り畳んだマフラーを置く。もそもそとベッドへ潜り込むアメリカを見下ろして、もう一度尋ねた。
「本当に僕と同じベッドで一緒に寝るの?」
「今更じゃないかい?」
「それもそうだね」
反対へ周りシーツの波間へ身体を滑り込ませたロシアを確認してから電気を消した。互いに背を向け、妙な雰囲気を纏った沈黙が訪れる。頭の下で潰れるこの部屋ただ一つの枕の存在を思い出し、アメリカが口を開いた。
「枕は?」
「僕の腕で間に合ってるよ」
なんのことだと頭を捻りロシアの方へ寝返りを打つ。暗闇に慣れ始めた瞳が白い頭を捉え、その下からにょきにょきと生えた指を見つけた。そして、ふと気づく。
「君、髪が湿っていないかい」
「シャワーを浴びたからね」
「oh・・・俺の部屋は水さえ出てくれなかったんだぞ」
「起きたら、僕の部屋で浴びるといいよ」
「そうさせて・・・じゃなくて、なんで湿ったままなんだい?ただでさえ寒いって言うのに」
「ドライヤーはあったんだけど、1分もしないで部屋のブレイカーがトんだんだよ。全く、あんな設備で25ドルも払わせるなんてコルコルだよね」
「その奇妙な呪文を当然の如く混ぜるのは止めてくれないかい」
「もうほとんど乾いてるから気にしないで。この部屋でドライヤーを使って暖房ごとトぶ、なんてことになったら僕、朝にコルコルするレベルが上がるから」
「レベル上げの話なら日本にすればいいと思うんだぞ」
「そんなことより、早く寝なよ。一晩泊めてもらう代わりにアメリカ君が眠るまで起きていてあげるから」
怖いんでしょ。と何気なく言った言葉がアメリカをやんわりと刺激した。自分で言うのはいいけれど、他人に言われると引っ掛かる。背中を向けたままのロシアに、後から抱え込むように抱きついた。
「前言撤回さ、これっぽっちも怖くなんてないんだぞ。ロシアこそ寒くて眠れないんだろ?俺はヒーローだからね。君が眠るまで暖めてやるよ」
「なにを言ってるの?恐怖で頭がおかしくなったのかな」
「君こそ寒くて脳みそが凍ってしまったんじゃないかい」
確実に下がった室温を肌に感じるものの、二人とも行動には移さない。ロシアを抱き締めたままのアメリカ、そしてアメリカに抱き締められたままのロシア。絶好調のブリザードが喉の奥から溢れ続けるけれど、唇から零れる冷たい刃は鋭い切れ味を忘れ、遊ぶように互いへ絡みつくだけ。
「アメリカ君は寝かしつけるより、寝かしつけられる方が似合ってるんじゃない?我慢しないで寝ちゃいなよ」
「んな」
皮肉をたっぷり混ぜ込んだ台詞を背を向けた相手に言うなんて。そう思うけれど、自分以外の体温を感じるのは酷く久しいことで、どうしようもなく安堵した。冷え切った身体が本来の体温に戻り始め、夢の中へ落ちるその瞬間まで、委ねきってしまいたいと願ってしまう。
四肢の末端を暖めると眠くなる、いつかの深夜に観た通販番組で売っていた快眠グッズを思い出し、にやりと口端を吊り上げた。ロシアの頭の下に置かれた手を引き抜いて、両の手で握り込む。逃げられないようにロシアの臍の上でがっちりと捕まえ引き寄せた。
微かに驚いた様を見せるものの、踵の周囲を右往左往するつま先からアメリカの行動の源を理解したようで、ふふっと鼻で笑う。
「足先までは届かないね」
「ヒーローに不可能なんてないさ」
たかが5センチ、されど5センチ。膨れっ面を作り、ずぼっとベッドの中へ潜り込む。ロシアの肩に額を当てて足の親指の先まで包み込んだ。
「わっ」
唯一自由になる頭を動かして、首筋を擽るように揺れるナンツケッツを見やる。ついさっきまであった空間に黒が広がり、無性に淋しくなった。一方的に握られていた手に力を入れて指先を絡め返す。
「・・・ねえアメリカ君。もしかしたらアメリカ君の後で幽霊が待機してるかもしれないから、君が寝るまで僕が見張っててあげる」
ロシアの言葉に、数秒間をおいた後、弾かれる様に飛び出てきたアメリカに両手足を解放され、ゆっくりと寝返りを打つ。カーテンの隙間から零れる月明かりがアメリカの目尻に溜まる滴を照らした。
「やっぱり怖がりだね」
「欠伸したから涙が出たんだよ」
してやったりと笑って、枕代わりの腕を頭の下に入れようとするが、その前にアメリカの腕が差し込まれ、もう片方の腕が背中に回る。
「いいよ、重いでしょ」
「君のすっからかんな頭なんて、ちっとも重くないんだぞ」
もっぱら言葉遊びと化した皮肉で応えられ返答に困った。やだなぁ。心の中にぽつりと溢す。八橋どころか赤福で包んだ言い訳も、長い間睨み合っている筈の男に腕枕される状況も。これっぽっちも不快に感じない自分に向けて、そう呟いた。
驚くほど近くにある鼓動が溶け合う様に同じ間隔で刻み始めた頃、ロシアが眠さにまどろんだ瞼を持ち上げ、深い呼吸を重ねるアメリカを見上げた。触れ合った箇所が太陽の日に包まれたようにぽかぽかと暖かい。
「Спокойной
ночн」
動き続ける暖房器具の音に掻き消されるほど小さな声がほんわりと灯る。
「Good night, sleep
tight」
聞こえるはずのない答えが返り、思わず肩が跳ねた。
「・・・早く寝なよ、アメリカ君」
「ロシア、君もさ」
20100910