目の前に差し出された人差し指と親指が、5cmくらいの小さな瓶を挟んでいる。
 照明に反射して、鈍く光るその中身は瓶の半分程度を満たした液体。雨上がりのコンクリートへ溜まる濁った水溜りの色をしていた。しかも、油が浮いて虹色に混ざったとびきり気味の悪い色。
 小瓶の向こうでロシアが笑う。にんまり笑って、どう見ても何かを企んでいた。機嫌良さそうに小瓶を左右へ揺らしてから引っ込める。

「ねえ、これなんだと思う?」
「さっぱり見当が付かないね」

 ハンバーガーとシェイクで蓄えた腹回りの余分な脂肪を消してくれる日本の漢方薬なら喜ばしい。週3回ジムに通って筋トレしているのに、全く減らないウェストと体重。食べる量を減らせばいいじゃないか、と言われるけれどそれはそれで死活問題だ。

「これね、イギリス君にもらったんだ」
「俺にとって嬉しくないものだっていうことがよく分かったよ」
「まだ正解を言ってないのに」
「イギリスお手製のスコーンからとった出汁かい?」
「はずれ」

 小瓶の蓋はやっぱり小さくて、きゅっと鳴いてコルクが抜かれた。身構えてはみたものの異臭はせず、室内の平穏は保たれたまま。

「僕と君って仲が悪いでしょ?」
「すごくな」
「うん、すごく。だから、僕と君が仲良くなれる薬をくれたんだ」
「・・・悪い予感しかしないから、どうだろう、ロシア。その中身をトイレに流さないかい」
「ええ嫌だよ。せっかくくれたのに」
「俺はその薬とやらを飲む気はないんだぞ」
「問題ないよ、僕が飲むから」

 そう言うと一寸の躊躇いもなく、くいっと煽る。普段はマフラーで隠されている白い喉仏が晒されて、上下にこくんと動いた。

「けふっ」
「・・・縮むのかい?それともメシマズになるのかい?」

 それから、それから。イギリスの悪行を思い浮かべていると、突然ロシアが自分の胸元に手を当てコートに爪を立てた。

「・・・ふっ、・・・ぅ・・・ぁあ」

 わなわなと膝が震えて立っていることさえ辛そうだ。額に汗が浮かぶ。慌てて近寄り崩れそうな身体を支えてやった。俯くロシアの頬に手を当て、自分の方へ向けさせる。眉間にしわを寄せ、虚ろな双眸は僅かに潤んでいた。

「ロシア、大丈夫かい?苦しいなら吐いてしまえば」
「う・・・ううん・・・もう、平気」

 次第に呼吸が落ち着いてくる。
 支えていた手を離そうと力を緩めた瞬間、ロシアの手に阻まれた。袖の間から触れた指先が熱い。

「まだ離れちゃ嫌だよ」
「・・・what?」

 耳鼻科が必要だ。確実に病を患っている。

「もっと触って」

 否、患っているのはロシアの方。頭がどうかしてしまったんだろうか。
 熱っぽい声が小さな口から溢れて、少々いけない気分が充満しておかしな妄想が脳の隅っこで生まれそうになったことは綺麗さっぱり忘れよう。

「・・・・・・ロシア、吐いたほうがいい。吐くんだ、ヒーローの命令なんだぞ!」
「どうして僕がアメリカ君の命令を聞かなくちゃいけないのかなあ?」
「あれ、治っ」
「・・・でもキスしてくれたら聞いてあげてもいいよ」
「oh・・・」

 ずい、と鼻の先が触れそうになるほど間近に迫ってきた。ゆっくり伸びてきた手にテキサスを取られ、アメリカとロシアを隔てていた帳が消失する。
 意外に長い睫毛に驚きつつ、その中央に嵌め込まれた紫電の瞳に視線を奪われた。あまりにも澄んだそこへ吸い込まれてしまいそうになる。
 ロシアの瞳の中に間の抜けた自分の顔を見つけて、ようやく正気を取り戻した。

「ロシア、しっかりしろよ。この前、俺のことがいも虫と同じくらい嫌いだって暴言を吐いたじゃないか」
「アメリカ君、大好き。ね、キスしよう?」
「―っ!」

 薄く開いた唇から零れた告白は吐息になってアメリカの唇を撫でた。憎たらしい言葉しか吐かないと信じて疑わなかったロシアから、顔を背けることができない。視線を合わせたまま、だんだんと近づいてくる。
 避けようと思えば避けられる。簡単だ。心臓の上あたりを両手で思い切り押せばいい。突き飛ばして、頭を冷やせって怒鳴ればいいだけなのに。
 鼻先と鼻先が触れて、すり、っと擦ってから名残惜しそうに離れて顔が斜めに傾けられる。硬直したままのアメリカと、ロシアの距離は約2mm。

「アメリカ君・・・逃げないの?僕のこと嫌いなのに」
「・・・知らないよ」

 悔し紛れにそう呟いて、マフラーが覆う首筋に手を這わせる。強い日差しを浴びたことがないのだろうか。そう錯覚してしまいそうになるほど真っ白なロシアの肌に、これっぽっちも嫌悪感が沸かない。
 指を滑らせて、首の後ろを捉えた。ほんの少しだけ力を入れて引き寄せれば、柔らかい唇が重なる。
 触れるだけの交わりは瞬く間に解かれ、なぜだかアメリカの心臓の上にロシアの両手が置かれていた。

「ロシ・・・っ」

 目の前にいたのは、先ほどまでの淫靡な雰囲気を一掃し、耳まで真っ赤に染まった北の大国。
 まさか・・・あのエロファンタジー国家。キスで解ける魔法をかけたなんて言わないだろうね!
 踏ん張る間もなく、突き飛ばされる。
 ソファに落ちた身体を起こした時には、既にロシアの姿は跡形もなく消え去っていた。

「ロシア!」

 慌てて名を呼ぶが返事はない。
 謝ればいいのか、イギリスの変な魔法の薬のせいだとおちゃらければいいのか。追いかけたところで、どう繕えばいいんだ。だって、今のキスにロシア自身の意思はなかった。
 上着のポケットから携帯電話を取り出し、元凶を呼び出すコールを鳴らす。

『hello』
「イギリス!何てことしてくれたんだい!」
『アメリカ?何のことだよ』
「何のことだって?よくもそんなことっ」
『落ち着け、どうしたんだ?』
「・・・ロシアが・・・」
『ロシア?ロシアがどうした』
「君・・・心当たりないのかい?ロシアに嘘をついて惚れ薬を渡したんだろ?」
『はぁ?』
「・・・え」
『映画の観すぎだ。いくら俺でも惚れ薬なんか創れるわけないだろう』
「だって、ロシアが」
『いや待てよ、発汗作用のある薬なら渡したな。ダイエットするから汗をかきたいって』
「はっかん・・・」
『大英帝国を舐めるなよ!強力なやつを調合してやったから、今頃お前よりも軽くなるかもしれないぜ。ああそれで、ロシアがどうしたんだ?惚れ薬って』
「な、なんでもないんだぞ、もう切るよ」
『アメリカてめっ何勝手なこ』

 小さな穴から喚き散らし続けるイギリスの声を無理やり切断して、手の中で握り締める。

「なんだい・・・それ・・・ロシア」

 どうにも素直じゃなくて、何を考えているのか分からないロシアがした精一杯のアプローチ。
 君の意思があって、さっきのキスが同意なら。

「その先について、じっくり話し合おうじゃないか」

 触れた唇がどうしようもなく甘くてもっと深く感じたくなった。
 これって、恋に落ちたって言うんだろう?





20100620