「帰ってええええええええ!!!」
 またやってる。

 ロシアは大概ローマイペースだ。
 誰にも左右されず、かと言って自分から積極的に動くわけでもなく。
 舌っ足らずなしゃべり方は、極寒の地ロシアで生まれ育ったから。冷たい外気が咥内に入らないように口を小さく開けて話す。体力を温存するために、ゆっくり決して焦らない。
 けれど、そんなロシアのペースを大幅に乱す存在が二つ。ロシアの姉であるウクライナと妹のベラルーシ。
 彼女達と話したことはないが、はたから見ればスタイル抜群の美人な姉妹だ。対して、口やかましい自称元兄と自分にだけ強気に出る顔のよく似た兄弟。自称元兄とロシアの姉なら交換したい、切実に。
 彼女達を目にするまで、あのロシアが慌てたり泣き叫んだりするなんてよっぽど恐ろしい怪物なのだろう、と思っていた。蓋を開けてみてみれば、なんてことない女の子が二人。
 どこがそんなに怖いんだい。笑って言えば、珍しくロシアが震る。両腕を交差した手で掴んで泣きべそをかく。「カナダ君とベラルーシを交換してよ」ロシアの目は本気だった。

「あ、アメリカ君、匿って!僕はこっちにきていない、ね?お願い!」

 悲鳴のような懇願に、無意識のうちに首を縦に振る。パアっと明るくなった涙で潤む瞳は1秒もしないうちに視界から消え去った。アメリカの後ろには資料室と看板がかかった扉。その向こう側で息を潜めて青ざめているのか。光景が思い浮かんで、口元が緩んで笑いそうになる。だってあのロシアが、小さな女の子にびくびくしているなんて。
 肩を震わせていると、ロシアより色素の薄い髪の毛が見えてきた。

「お前、ロシア兄さんを見なかったか」

 わーお。思ったよりも迫力がある。美人がすごむと怖いって聞くけどこういうことだね。
 両肩を大げさなくらい上げる。

「ロシアかい?見ていないよ。他を探すといい」
「そうか」

 完璧な演技だっただろう?ベラルーシが踵を返した瞬間、アメリカは脇目で扉の方を追った。
 ベラルーシの足がぴたりと止まる。

「ど、どうしたんだい」
「兄さん・・・兄さん」

 ぶつぶつと繰り返すベラルーシを見て、日本と一緒に観たホラー映画を思い出した。
 日本の家の幽霊はどうしてああも女性ばかりなんだろうね。目の前にいる女性のような、怖い目をしているんだろうね。
 冷や汗を垂らしながらどう誤魔化せばいいのか考える。

「お前、兄さんに引っ付いているクソ虫か」
「おーまいがっ」

 ベラルーシと対峙しているのは、人畜無害な風貌をしているとはいえアメリカ国家だというのに。顔に似使わずなかなかおもしろい言葉を操るらしい。
 思わず漏れた言葉がたどたどしくなる。

「退け」

一体その細い腕のどこからこんなパワーを生み出しているのか甚だ疑問だ。
体が傾きそうになり思わずベラルーシに向かって両手を伸ばした。しかし、その手は彼女に触れる前に後退する。

「shit」

 吐き出した言葉は自分にか、それとも自称元兄にか。
 女性には優しく接するんだ。壊れやすいガラスに触れるように、暴力なんてもっての他。
 小さな頃より教え込まれた。エロ大国の癖に、紳士ぶって。
 反撃するにも手がなく、易々と扉の前を譲ってしまう。ドアノブに手をかけ、ガチャガチャと音をたてて開こうとしているがベラルーシの思い通りには動かない。中からロシアが必死で掴んでいるのだろう。
 無理だと悟り、今度はドアごと壊しにかかる。

「それはいくらなんでもやりすぎじゃな・・・」

 制止の言葉は最後まで言い切ることが出来なかった。
 否、言い切る前に扉はその機能を失い無残な姿に成り代わっていた。

「ヒッ」
「わっ」

中から飛び出してきた大きな塊がアメリカの背後に隠れて縮こまる。

「兄さんを渡せ」
「ロシアが怖がっているだろ?話し合いじゃダメなのかい?」
「お前には関係ないだろう。さっさと渡せ」
「関係ないって・・・俺はロシアの恋人なんだから関係があるだろ」
「アメリカ君っ!」

 ロシアの焦った声がアメリカの余計な発言を嗜めた。

「じゃあお前がいなくなれば兄さんの恋人はいなくなるな」
「物騒なこと言わないでくれるかい」
「兄さんと別れろ。真っ二つに折るぞ」
「君が実力行使をするなら俺も」
「な、なに言ってるの。止めてよ」

 アメリカの袖が引かれて批難の声が上がる。
 じゃあどうしろって言うんだい。

「ベラルーシが相手なら・・・僕・・・君のこと捨てるよ」
「兄さん!」
「ロシア!」

 一方は歓喜の声、もう一方は驚嘆の声。

「ごめんね・・・アメリカ君」

 掴まれていた袖が解放された。涙声がぽそりと聞こえて絶望を感じる。
 カナダとなら交換していい、って言っていたのに。カナダはよくて恋人の俺はダメなのかい・・・

「ロシア・・・」
「あとで、ちゃんと看病するから!」
「・・・え」

 どん、っと背中から大きな衝撃を受けて突き飛ばされる。目と鼻の先には心底嫌そうに顔を歪めたロシアの妹ベラルーシ。背後から、ごめんね、そう言って走り去るロシアを感じた。
 捨てるって、そういうことかい。

「あとで覚えてろよロシア!」

 そう叫んだアメリカがベラルーシを巻き込み、床に激突するまで後1秒。



20100615