**1日目。

「あの、ね。アメリカ君」

 マフラーに埋めた喉奥から、絞り出すようにして吐いた声。今なら幸せを逃がしちゃう溜め息だって大盤振る舞いできそうだ。

「なんだい」

 アメリカは冷静だった。けれど、その顔ははつらつと輝いていた。会議場に冴えわたるどよめいた空気も頬を引き攣らせるロシアの戸惑いもまるで無視して、アメリカは自分が思う通りに物事が進むと確信していた。

「僕さ、もうおうちに帰らないと・・・仕事だって失敗しちゃったし」

  仕事、と聞きアメリカの視線は机の上に散らばった婚姻届もどきに移る。かき集めても元の形を取り戻せそうにない哀れな紙切れが、二人の間で板挟みになっていた。

「仕事の報告なら電話で十分だろ?」
「あーもう、イギリス君どうにかしてよ」
「イギリスは関係ないだろう」
「フランス君でもいいよ」
「フランスだって関係ないんだぞ!」
「じゃあ、にほ・・・」
「俺と、君の、問題だ!」

 そう言い切った勢いのまま、荷物とロシアの腕を掴んだ。幼少のころからバッファローを振り回していた腕力を舐めないでもらいたい。ロシアを引きずりながら会議場を出て、最初に目に入った小さな空き部屋へ狙いを定めた。

「なにやってるの」

  じとりと見下げる真正面に立ち、慣れた様子でアイフォンの画面をなぞる。

「はあ、もう気がすんだんじゃない?一歩だけ譲って僕の言い方に足りないところがあったことを認めるよ、ごめんね」
「そうかい」
「そろそろ放してくれないと、魔法のステッキでぽこんってするしかなくなっちゃうよ」
「君の素振りなんかに打たれる俺じゃないさ」
「アメリカ君」
「―はは」

 買ったばかりで傷一つないつるりとした画面を覗き込み、勝利を得た王者―というには些か邪気が足りない表情を頬にのせてアメリカが笑った。

「君の上司によるとロシアは今日から5日間ほど予定が入っていないそうだ」
「それは、国としての僕のことでしょう?残念だけど僕のプライベートは5日間ずっと詰まってるんだ」
「いいじゃないか、休暇には変わりないんだからそのプライベートを俺に譲ってくれよ」

 どこまでも我が道を突き進むアメリカに、もしかして諭そうとする自分の行動はとても馬鹿らしいものなのではないか、と不安になってくる。次の一手を考えながら息を吸い、音にしようと口を開いた瞬間、出入り口から人の気配がなだれ込んできた。

「その話の続きはバーでしようぜ。兄さんワイン不足で枯れそう」
「そのまま萎びろワイン野郎」
「店はもう予約しているんだ。このままでは遅れてしまうぞ」

 顰め面で腕時計に視点を合わせるドイツの向こうでは、会議中に爆睡していたイタリアがいつの間にか夢の世界から帰ってきたようだ。わくわくと大げさな身振り手振りで日本と何かを話していた。

「分かったよ。ロシア、行くよ」
「だからさ、僕・・・」
「たまにはいいだろ、ロシアも来いよ」

  言い詰まるロシアに、埒が明かないとやんわり促しを入れる。

「・・・フランス君が言うなら、ちょっとだけ」
「・・・なんだいそれ!」

** ** ** **

「アーメーリーカー」

 背後から喉仏に腕を回されぐ、と息をつめた。呆れを含んだ眼差しを横にずらせば、アルコールに染まり上がったイギリス顔がにゅっと生える。その濃いアルコールの匂いに、ただでさえ機嫌が悪いというのに気分まで悪くなってしまいそうだった。

「酒臭いんだぞ」
「お前も飲め!」
「いらないよ。今夜は飲む気分じゃないんだ」

 眉間に皺を寄せたアメリカの視線の先では、大好きなイタリアと日本の間に無理に割り込んだロシアが嬉しそうにひたすら笑っている。手元には空になったジョッキがいくつも転がっていた。

「ひっく・・・おい」
「・・・・・・」
「ロシアのこと、本気なのか」

  探るような声音に、アメリカが怪訝に眉根をゆがめた。

「いきなりなんだい」
「アメ・・・っうぷ」

  言い切らずに突然イギリスが口元を両手で覆った。よく見れば、額には脂汗が浮いている。

「・・・フランスー!」
「そういうときにだけお兄さんに助けを求めるのはやめてくれるかな!!」

 嫌だからね!酔っぱらいの面倒なんてみないからね!そんな言葉を必死に重ねるフランスが、千鳥足でスペインの背中に隠れて丸まった。見かねたスペインが胡散臭い笑みのままフランスを背後から引きずり出してイギリスに向かって放り投げる。フランスのつむじとイギリスの背中が上手い事ぶつかり両者ともに意識を飛ばした。床で大の字になって伸びた二人を見下ろして、アメリカは大きなため息を吐く。

「全く、いつまで過保護な兄のつもりなんだい」
「ふふ。いつまで経っても弟分は可愛いものだよ。だってお兄ちゃんだもの」

 先ほどまでわざとらしくアメリカを避けていたロシアが、何食わぬ顔をして隣に座る。

「それってベラルーシのことかい」
「まあね。怖いけど、やっぱり妹だから」

 むず痒くなるくらい温かな声がアメリカの鼓膜を揺らした。

「ああ、怖い事を思い出しちゃった。姉さんとベラルーシに今日中に帰るって言ったんだ・・・アメリカ君のせいにするけど構わないよね」
「好きにしてくれよ」

 アメリカが不貞腐れて唇を尖らせる。まるで小さな子供のようなその仕草に、ロシアの胸がくつりと喚いた。イギリス君の弟。弟、か。手のかかる・・・そう思えば、アメリカの我が儘に少しくらいなら付き合ってもいいんじゃないかと思えた。

「・・・帰ってベラルーシの相手をするよりは、いくらか楽だもの」
「何か言ったかい」

 アメリカの問いの答えを笑みで隠して、そう言えばと続ける。

「彼女、もう一つの仕事を小耳に挟んだらしくてさ。ほら、昨日いきなり会議に来たでしょう?兄さんがあの野郎に誑かされる!って怒っちゃって」

 ああ、だから睨まれたのか。昨夜の恐怖体験を思い出して無意識のうちに背筋を正した。

「ふふっ、きみにとっては、誑かしていたのは僕の方なのにね」