**4日目。

 今日はまだ1回しか言われていない。
 暇さえあれば、耳にたこができかけている台詞を言ってきたというのに、時は既に会議が終わった夕方だ。言われた状況だって雰囲気も何もなく、偶然トイレで出くわしついでに、きょろきょろと周囲を警戒して泣きべそをかきながら。
 なんでもスケジュールになかったロシアの姉妹が急遽到来したらしい。会議への出席が目的ではなく、兄弟に会いに来ただけらしくて夜には帰るとロシアが言っていた。朝食も会議が始まる直前も休憩中も昼食のときだって彼女たちにべったりと貼り付かれたロシアが、アメリカの元へ辿り着くのに困難を極める事は想像に容易い。正確には彼女たち、ではなく主に妹にだが。

 靡いたマフラーの先端が触れそうなほど近くにいたってロシアはアメリカの方をちらりとも見ない。彼の双眸は愛する姉妹に固定されていた。特別奇妙な事ではなかった。むしろ、ここ数日がおかしかったのだ。対のアメジストの焦点がアメリカに重なることの方が荒唐無稽な非日常だった。
 こっちを向け、と邪念のような渦を巻く視線を送るも、察知する能力が欠けているのか、はたまた察知する努力を怠っているのか、毛先をゆるくカーブさせたペールブロンドを晒すばかりだ。辟易するほど見慣れた笑みが、無性に見たくなった。

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 国家に宛がわれている客室に面した、明るい廊下の角を曲がるロシアのしっぽを見つけた。あの薄い色の生地は間違いなくロシアのマフラーだ。アメリカは慌てて追いかけた。声をかけようと口を開いた瞬間、柔らかなトーンが耳に伝う。ロシアちゃん。彼女はロシアの姉だろう。折れた角の手前の壁に、背中を引っ付けて呼吸を押し殺した。

「姉さんまたね。ベラルーシをよろしく」
「まかせてロシアちゃん」
「まだ帰るなんて言ってない」
「ベラ、もうじき暗くなるから、ね」
「兄さんも帰りましょう?」
「・・・いい子だから姉さんと一緒に帰ってね」

 こっそりと顔を覗かせれば、背を向けるロシアと彼の左右に姉妹が見えた。どうやら別れを惜しんでいるようだ。ウクライナに手を繋がれ半分引きずられるような格好で徐々にフェードアウトしていくベラルーシ。手を振って見送るロシアへ必死に手を伸ばしていた。黙っていれば美人だろうに。鬼気迫った顔はアメリカにさえ冷たい汗を流させる。

「、っ」

 ふいに、ベラルーシがアメリカを見た。ロシアと同じ色の瞳に憎悪が沸き立ちアメリカを射抜く。目を逸らすことは出来なかった。しかし瞬きの間にそれはなりを潜め、視線はロシアへと戻る。
 姉妹の姿が完全に見えなくなるまで、アメリカは固まったまま動けなかった。ロシアが部屋へ戻ろうと客室の扉に手をかけたところで、ようやくスイッチがオンに切り替わる。

「ロシア!」
「あれ?アメリカ君」

 二度目の正直を果たし呼び止める事は出来た。しかし、振り返られ、初めて用がないことに気がついた。世間話をする仲ではないし、仕事の話だってない。とりあえずぎこちない仕草でポケットやバッグを漁った。ごそごそと引っ掻き回し、ようやく話の種を見つける。

「これ、食べるかい?」

  ズボンのポケットに皺の寄ったチューインガムが一枚。大好きなコーラ味だ。アメリカにとってはしてやったりな顔を浮かべてもいいほど自然だった。しかし、無理やり引きずり出された哀れなガムに怪訝な目が下ろされる。少し考える間があった後で、ロシアが言う。

「それを食べたら僕と一緒になってくれる?」
「どうしてそうなるんだい!」
「えぇ・・・でも貰うよ、ありがとう」

  ふわりと笑んだ頬が、ゆるやかな曲線を描いた。ああ、ずっとこの顔が見たかったんだ。急にドキドキと高鳴り始めた心臓を、スーツの上からくしゃりと抑え込む。ただ立っているだけの事が酷く難しいことに思えた。いてもたってもいられなくなり、頬に熱を感じながら口の端をきゅっと結んで精一杯のしかめ面を作る。

「それだけだ、じゃあね」

 ロシアの呼び止める声を無視して、アメリカは自分の部屋に飛び込んだ。