**2日目。

  あれは、そうだ一種の怪奇現象だ。寝不足の頭をすっきりさせるため、レストランに充満する油の匂いを深呼吸と共に胃袋へ押し込み、アメリカは率直に閃いた。
 ロシアはアメリカへよほどの用がなければ近づかない。逆もまた然り。周囲の国家や直属の上司だってそれを歓迎していた。アメリカにとって―もちろんロシアにとっても、二人の間に漂う極寒の冷気に物怖じするなんて事はこれっぽっちもないが、わざわざ事を荒立たせる趣味はない。いつしか暗黙の了解となり、互いに一定の距離を保っていた。
 だから昨日の口に出したくもないアレは、不可思議な現象で、アメリカ合衆国が誇る優秀揃いの科学者でもってしても解明できない一つの事象だったのだ。たぶん。こう考えるのが、最も穏やかに過ごせそうだった。同時に、どうせウォッカを飲みすぎたまま会議に出てしまった、そんな所だろうと苦い笑みを零す。

  腰まである高く大きなテーブルに並んだバイキング形式の朝食を眺めると、いつの間にか苦笑いとただの笑みが入れ代わった。まっさらな白い皿を両手に1枚ずつ持って前菜を盛り、近くの椅子に腰を下ろす。
 怪奇現象のおかげで空が白けるまで眠れなかったのだ。まんまと二度寝の罠に落ち、他の国家は既に朝食を終えた後らしい。人気のない閑静なレストランはアメリカの動作だけに反応して音を響かせた。瑞々しいベビーリーフを眺めながら机の端に置かれたカラトリートレーに手を伸ばす。

「はい、フォーク」

 姿勢を正すと、ロシアが笑顔でフォークを差し出していた。完全に気配がなかったのは無視しよう。カラトリートレーから2セットあるうちのフォークだけが1本欠けている事も無視しよう。目の前に尖った先端が数本並ぶ銀色のフォークを受け取るかどうかだけに、アメリカは頭を悩ませた。
 ゆっくりと慎重に手を伸ばし、若干冷えているフォークの先端側をつまんで素早く手元に引き寄せる。悪戯心を改めたのか、それとも良心を改めたのかは知るところではないが、昨日よりも僅かに真摯な表情を浮かべるロシア。アメリカがそう感じただけなのかもしれない。
 訝しむアメリカを不思議そうに見るロシアは、それでも笑みを絶やさない。

「それでさ、アメリカ君」
 
 のんびりとした口調。聞き慣れるほどではないが、それでもアメリカは普段と変わらない口調だと判断した。しかし、その口調に嫌な悪寒が走る。大きな衝撃ではなかった。頬をぎりりと抓られたような不快な悪寒。
 蛇に睨まれた蛙の如く、ロシアの次の手をじっとりと待つ。ぐるぐると悩むアメリカをよそに、ロシアは実にあっさりとしていた。

「僕と一緒になる決心はついた?」

  まず一つ。そもそもロシアと付き合う決心も何も、問答無用であしらった筈だ。なぜ付き合う事が前提になっているのだろうか。そして二つ。

「・・・ジョークじゃなかったのかい」
「うん」

 出来るだけロシアを視界に入れないよう前菜を口に詰め込み、メインディッシュはおかわりの欲求を押さえ込み山盛りについだ1皿のみにしてデザートは我慢した。もうすぐ会議の時間だから急がないとね、なんて呟くロシアに投げやりな相槌を返し、コーヒーを一気に飲み下す。

「一度部屋に戻るよ、君は先に行っていてくれ」

 席を立ちながら、言外に一緒に行きたくないと念を込めた。

「ちゃんと考えておいてね」

 ダイナマイトよりもよっぽど威力のある一言を残して颯爽と去っていく後姿を、無言で見送った。

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 会議中、気づけばロシアが微笑みながらアメリカを見ていた。微笑んでいる、とは言っても彼はほとんど常に笑っている。だから、ごく普通の表情でアメリカを見ていると言ってもそれほど差異はない。10代らしくはじけるような自分が作る笑顔と比べ、控えめなロシアの笑みは好感が持てた。表情は腹立たしく感じた昨日と変わらないのに、ロシアが本気でアメリカを好いていると思えば、昨日の最悪な気分が嘘のように晴れ渡る。
 けれど、やはり俺はアメリカ合衆国だし、俺もロシアも男だった。