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テキサスを介さずに見る寝室の天井はこんな感じだったっけ。
遮光カーテンから漏れるのは真夏のギラギラとした日差しではなく、おぼろげな月明かりだった。
久方ぶりの光景に違和感を覚えながら、充電器に置かれていた携帯電話に手を伸ばす。パネルに触れるとたちまち眼球に突き刺さってくるような強い光を伴いホームが開いた。
日付を見ながら鈍痛に顔を顰める。それはそうだ。なにせあの会議の日からきっかり十八日間も眠り続けていたのだから。
ホーム画面は壮絶なことになっていた。着信履歴と留守番電話を通知するマークに寄り添う数字は今までに見たことがない桁に到達している。
精神的に疲れ果てていたのか、たっぷりと眠ったはずなのに手の中の携帯電話はベッドへずり落ち、アメリカの意識もずるずると睡魔に飲み込まれていった。
コール音が聞こえてアメリカが寝返りを打った。浅い眠りの中を漂ったままのろのろと携帯電話に手を伸ばす。
表示された名前はカナダ。通話ボタンをタッチして耳に押し当てた。
その途端、Helloのヘの字も言わないうちに爆音が鼓膜を突き抜けた。
「・・・っ、アメリカ!君ねえ!!」
普段のスローなカナダからは想像もつかないほどキンキンとした声音が携帯を壊さんばかりに響いた。カナダの怒鳴りに近い声を初めて聞いて、アメリカは一瞬で目が覚める。
電話越しに兄弟お得意の言葉攻めが始まり表情を歪ませるが、カナダの声がだんだんと涙混じりになるものだから最後まで付き合うことにした。
「もう・・・勘弁してくれないかい・・・」
「ああそうだ。イギリスさんやフランスさんたちにもすぐに知らせなきゃ。アメリカ、今から出られるかい?」
「ああ、どこへ」
「とにかくベッドから起きて!」
カナダと待ち合わせたホテルの一室でソファに腰掛け寛いでいると唐突にドアが蹴破られた。
ドアは蝶番に繋がれ壁にしっかりと固定されているがルームキーがアメリカの手元にあるというのに難なく押し入ってきたことに対して、蹴破られたと表現するのが最も的確だろう。
さり気なくカナダがアメリカから遠のき、二人分のスペースを開ける。
「何処に行ってたん・・・」
「何処に行ってたんだ!心配するでしょうが!」
「っお前な・・・っ、一言・・・くらい言ってか・・・」
「アメリカ!訳次第ではお兄さん本気で怒るからな!納得がいくように説明しろ!」
「そ、そうだぞ!アメリカ!説明・・・」
両側から突撃してきたイギリスとフランスに早口で捲し立てられ、たじたじになりながらもなんとか体勢を立て直す。
「悪かったし説明もするから、いっぺんにしゃべらないでくれよ」
とは言ったものの、馬鹿正直に一から十まで説明すれば、原因の半分を作ったじめっとした性格のおっさんからしめじが生えるだろうし。はてさてどうするか。
「・・・眠っていたんだ。なぜかは分からない」
「なんだそれ」
「ずっと夢をみていたよ・・・幸せな」
「アメリカ・・・」
「はは、本当に眠っていただけなんだぞ。カナダからの電話で目が覚めたんだ」
口を開かないものの、フランスもイギリス同様不満げだった。けれど、アメリカの真剣でどこか憂いを浮かせる表情にそれ以上は突っ込めず黙り込んでしまう。
「まあ・・・無事だったんだからよしとしましょうよ」
イギリスやフランスの何百倍もすっきりした顔のカナダが仲介役を買ってでた。電話で延々と怒った後だからかイギリスたちよりもいくらか冷静だった。
「そう・・・だな。本当によかった」
アメリカの髪をくしゃりと撫でたフランスと、その隣でムスッとするイギリスに再度心配をかけてごめんと伝えた。
「とにかく明日、この下の会議場に日本たちがくる。あいつらも心配してたんだ顔を見せてやれ」
「最初にお前と連絡が取れないことに気づいたのは日本だったんだ。ほら、お前ら二週間くらい前に会議を入れていただろ?まあ会議をする予定だったのか日本の文化を満喫する予定だったのかは定かじゃないけどね」
正確には、会議という名の新作ゲームお披露目会だ。
「約束の時間になっても姿を見せないし電話を入れても通じないしで。そんなこと初めてだったから相当焦ったみたいだぞ。それでお前んとこの上司を通じて各国に連絡が入ったんだ」
フランスの後を引き継いだイギリスが刺々しい声でアメリカをぎろっと睨んだ。
「ああ、アメリカさん。ご無事で何より」
「アメリカ!おまえ何してたある!」
アメリカが顔を見せれば、昨日の今日だというのにそれほど大きくはないが決して小さくもない会議場のキャパをオーバーするほどの国たちが集まり、既にてんやわんやだった。
「ヴェー心配したよー」
「全く、今後このようなことはないように」
気遣いの言葉と叱咤する言葉が口々に飛び交い、アメリカはその一つ一つに何とか応えるもだんだんと叱咤の割合が増えしょんぼりとしていった。
ナンツケッツを垂れ下げながら、視線は無意識のうちに頭一つ飛び抜けた背を探していた。
「ロシアは、いないか・・・」
まあこの世界のロシアが俺のことを心配して飛んで来るはずないか。
自分で言った事なのに、声を出さずに呟いた言葉が槍となって心臓に刺さった。アホ毛をふよふよと揺らせたカナダと、その隣でにやけ面をするフランスを遠目で眺めながら、ふうと溜め息を漏らす。
本当は少しだけほっとしていた。この世界のイヴァンと顔を合わせたら、きっと気恥ずかしさ故に挙動不審になってしまうから。
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「そうだ、ロシアの方はどうなったんだ。まだ着いていないようだが」
険しい顔をしたドイツが思い出したように呟いて、くるりと会場を見回した。
「それでしたら、十分ほど前に到着したとの連絡が・・・」
「僕がどうかしたの?」
いつの間にか日本の真後ろにはベラルーシを従えたロシアがにょきっと生えていた。
「ロシ、ア」
蚊の鳴くようなアメリカの声を拾ってロシアが横目で視線を合わせる。
「俄羅斯!おまえ着いたなら真っ直ぐこいある!」
「ごめんねぇ。すぐそこで上司に掴まって遅れちゃったよ」
「ロシア・・・その、背中に・・・」
ドイツの視線を辿れば、ロシアにべったりと貼り付いたベラルーシが片時も離れて堪るものかとしがみ付いていた。ロシアの腹の上で固く握られた拳が血の気を失い白くなっている。
「うん、気にないで。ずっと離れないんだ」
「どこに行っていたのか教えてくれるまで離しません。二週間以上も連絡が取れなかったのに・・・!」
「え・・・」
ベラルーシの言葉が引っかかりくぐもった声が漏れる。ロシアはベラルーシの詰問をかわし、口元を引き攣らせながら宥めていた。
肩越しに背中へ貼り付く妹を見下ろすためにロシアがくいと顎を逸らした瞬間、アメリカの眼が驚きに見開かれる。
白い喉仏の上、顎の頂よりも下、その中間に引っ掻かれたような細長いかさぶたが見えた。あれは。
ロシアの呪いとイギリスの魔法がかかった俺。俺はあの時、どこに立っていた。ロシアのすぐそばにいたじゃないか。俺を壁にしたロシアには悪夢の魔法は届かなかった、どうしてそう思ったんだ。
あんなに近くにいたのに。どうして俺だけ魔法にかかったと。
薄っすらと残る痕が、アメリカの喉をカラカラにした。考えるよりも先にアメリカの手がマフラーに伸びていた。
怪訝な顔でアメリカを見るロシアと、アメリカへ般若の形相で怒鳴り声をあげるベラルーシ、そしてロシアの首元のマフラーをわし掴むアメリカに奇異な視線を送る国たち。
ベラルーシの声がやけに響く会議場でアメリカの喉が小さく震えた。
「・・・イヴァン?」
「っ、」
ロシアの瞳が強い動揺を映した。
瞬間、アメリカがベラルーシの拘束を解きロシアの腕を捕らえると息つく暇もなく出入り口の扉に向かって走り出した。
「こーら!主役二人が抜けてどうするの!」
背にかかるフランスのお咎めに、すぐ戻るから適当にやっていてくれ、と早口で返しそのまま階を上がり人気のない会議室へロシアもろとも転がり込んだ。
はあ、はあ、と肩で息をする。ロシアの腕を掴んだ手のひらが発熱しているようだった。ぱっと手を放し、少しだけ距離を取って頭を抱えながらしゃがみこんだ。
「・・・ある、ふれっど君?」
恐る恐るといった声音でロシアが膝を折りアメリカに近づいた。
「・・・そうだよ」
「は、早く言ってよ!」
思いがけない非難を受け、弾けるように頭を上げた。
「なっ、イヴァンがはじましてって言ったんじゃないか!だから、」
「それはきみが意味もなく優しくするからアメリカ君のはずがないと思ったんだよ」
ごもっともな理由に二の次が告げなくなる。
混乱した頭でなんとか状況を整理しようとイヴァンの視点であの世界の始まりを話してもらえば、アメリカと同じくあの会議の日、睡魔に襲われ目を覚ましたら制服を着こんでブラギンスキ家にいたらしい。
「目を覚ましたらおかしな世界にいて、目の前には家族の顔をしておはようのキスとハグをしてくるウルスがいたんだ。ウルスの後ろには若返った姉さんとベラルーシが順番待ちの列を作っていたよ。姉さんは置いておいても、あれが一番の悪夢だった。学校を休んですぐさま家を出る準備をしたね」
うう、と大げさに顔を逸らしたロシアにアメリカが首を傾げた。
「たかがあいさつで家を出るって・・・」
「イギリス君」
「What?」
「目が覚めたら、イギリス君が幼い頃みたいに保護面をして、昔と同じようにアメリカ君を子ども扱いして当たり前のようにハグをしてきた。どう?」
「それは・・・家を出たくなるね」
それに、とロシアは続ける。
「イギリス君の呪いで作られた世界とはいえ、姉さんたちがいる家に慣れたら帰った後で淋しくなると思ったんだ・・・」
声のトーンが落ちて、イヴァンの表情が曇る。その顔に見覚えがあったアメリカは、あの時の表情の元はここだったのかと今更ながら独りごちた。
「・・・ん?ちょっと待つんだぞ。今の言い方だと、あの世界が夢の中だって分かってたように聞こえたけれど」
「もちろん分かってたよ。あれ?まさかとは思うけど分かってなかったの?」
じゃあ悶々といらない悩みを抱え続けたのは自分だけだったのか。
がっくりと落ちたアメリカの肩を不思議そうに眺めながら、ロシアが手持無沙汰にマフラーの端を掴んで伸ばし始めた。
「イギリス君の詠唱が聞こえたんだ。僕に悪夢を見せる魔法だった。じゃあ僕もなにか返してあげなきゃって。十八年も待ちたくないからすぐ跳ね返すことにして十八日間イギリス君に悪夢を見てもらおうと思ったんだ。けれど、真ん中に入った異物のせいで僕の呪いとイギリス君の魔法が大きく広がっちゃったんだよ」
引っかかる単語があったけれどあえて突っ込まずにぐっとこらえる。
「あの世界はイギリス君が作り出したもので、十八日間の期限が切れれば消滅しこの世界に戻ってこられる。だからアルフレッド君と付き合ったんじゃない。無責任なことはしたくないもの」
「それは暗に俺が無責任だったって言ってるのかい」
「うん・・・そっか、だからあんなにぐるぐる空回りしてたんだ」
「忘れてくれよ。だいたい、君、ロシアなのに俺のキスを拒まなかったじゃないか!どうしてだい」
問えば、ロシアの双眸に氷河が見えた。
「アメリカ君ってデリカシーの欠片もないよね」
「なんだい」
「はあ。アメリカ君、きみを想うとね、胸やけがするんだ。どうしてだろうね」
「それ・・・」
「夢なら僕の思い通りになってもいいのかなって」
「ロシア、」
「最初から、きみが好きだってことだよ」
ほっぺたがぶわっと熱くなる。見なくたって顔が真っ赤になっていることが分かった。
思いがけない告白にしてやられた気分のアメリカが、ロシアを恨みがましくじとっと見上げれば、マフラーに埋まった口元がもごりと動いた。
「イヴァンのことは好きだったみたいだけど、僕はどうなの?」
なんでもないような口調で、なのに薄っすらと染まった目尻が、アメリカの心臓を逸らせる。
「・・・そうだね。よく分からないから君に触れて、それからキスをしていいかい?」
「・・・ふふ、Why not?」
重なった唇は、アルコールの香りがした。