41

 寝室に足を踏み入れた途端、心臓が飛び出してくるんじゃないかとヒヤヒヤするくらい激しく鼓動し始めた。
 がらにもなく焦り、緊張していた。セックスをするのは初めてではない。数百年も生きていればそれなりに経験があった。
 それなのに、アメリカはベッドに腰掛けたイヴァンへ視線を向けただけで、何をすればいいのか分からずにまごついていた。最初は抱きしめて、キスをして、それから脱げばいいんだっけ。
 意識しないでも自然に流れるはずの動作が、まるで甘酸っぱい初恋を実らせ初めてセックスをする少年のように戸惑いもどかしくなった。

「アルフレッド君、こっち」

 アメリカの狼狽に呆れる風でもなく、ただ愛しい人に触れ合いたいとイヴァンが手のひらを差し出した。
 その手に導かれ心臓が前に押し出ると、釣られた足が前へ出る。身体は勝手についてきた。
 よろめいたのは一歩目だけで、しっかりと踏みしめた二歩目と三歩目がイヴァンとの距離をゼロにした。
 無防備に差しのべられた手のひらにそっと重ねる。イヴァンが指先を立たせ、アメリカの指先と揃えてぴったりと合わせてぎゅっと握った。

「キス、していいかい」
「うん」

 手を握ったまま、ゆっくりと唇を合わせた。

「ふふ、僕、心臓が落ちちゃいそう」

 イヴァンがアメリカの手を自分の胸元にくっつける。布越しにアメリカの手のひらを打っていた。
 アメリカを想いドキドキと鳴るイヴァンの心がどうしようもなく愛おしかった。

「落ちたら俺にくれよ」
「・・・いいよ」

 冗談めかして言った台詞にするっと返るのは無邪気な肯定。それはアメリカの理性を容易く引きちぎってしまう。
 イヴァンの胸元に置かれた手に力を込めれば、なんの抵抗もなしに後ろへぱたりと倒れた。
 ベッドに乗り上げ、一方的にイヴァンの服を剥いでいく。シャツをたくし上げ、ベルトを外してずり下げる。
 マフラーに手をかけると、ようやくイヴァンが反応を見せた。マフラーを解こうとするアメリカに抵抗するように首回りの布を纏めてぐいと掴む。その手を絡め取り、もう片方の手も捕らえてシーツの上に縫い付けた。

「イヴァン・・・」

 名前を呼んだだけなのに熱のこもった息が漏れた。折り重なるようにキスをすると頬にメガネのフレームが当たりうっとうしい。イヴァンも同じようで、アメリカの束縛から逃れた手がメガネを取り外した。
 瞼を開くと、間近に綺麗な瞳があった。垂れ目がちな紫色の眼が潤んでアメリカを見上げる。その甘さに思わず引いた頬をイヴァンが両手で包み込み、口付けを深くした。
 小さく隙間のできた咥内へ舌先を滑り込ませれば、応えるようにイヴァンのぬめった舌が絡みついてくる。夢中で吸いながら、マフラーを解き取り邪魔なシャツも剥ぎ去った。

「っ、ん・・・ア、く」

 喘ぐように息継ぎをするイヴァンの唇を解放して、柔らかそうな頬をべろりと舐める。なんの味もしないのに一度では足りずに何度も舌でなぞりながら顎を通り徐々に下へ降りた。
 ふいに舌先へ小さく固いものが触れる。一昨日、イヴァンを引っ掻いた時にできた傷は細長いかさぶたになっていた。
 真っ白な肌に、不似合いな痕。傷つけた罪悪感と自分が付けたという高揚感が混ざり合い、アメリカを一層高ぶらせる。ぞくりと走った痺れに突き動かされ、傷の上に新たな痕を残すように噛み付いた。

「あ・・・いたっ、い」

 か細く漏れた悲鳴にはっと我に返ると、顎の下にアメリカの歯形がくっきりと浮かんでいた。無言で睨み上げてくるイヴァンを極力見ないように視線を逸らした。その先につんと起ちあがった二つの突起が目に入る。
 男でも感じるのだろうか。指先でそっと撫でれば、イヴァンの胸がびくりと震えた。まずまずの反応に気をよくして今度は口に含んでみる。舐めてみたり吸ってみたりするも、頭上で聞こえてきたのは場にそぐわない笑い声だった。

「、ふふっ、や、くすぐったい」

 けらけらと軽く吐き出される声に艶めいた色は微塵もなく、躍起になったアメリカは中途半端な位置までずり下げられていた下着に手を潜らせた。

「あっ」

 ぐ、と軽く握り込んだイヴァンの肉は萎えたまま。自分でするように擦りあげながら再び胸元を愛撫する。鈴口に指の腹を押し当てぐりぐりと刺激しながら舌先を固く尖らせて押しつぶすように転がせば、だんだんとクスクス笑いに喘ぎが混じり始めた。

「脚を開いて」

 ズボンと下着を抜き去りながら太ももの間に身体を割り込ませる。手探りでローションを取り、蓋を開けた。
 両脚をアメリカの身体一つ分も開いたイヴァンが羞恥で頬を染め上げる。

「この格好はや、だ・・・っあ」

 手のひらにたっぷりと出し、ゆるく勃ち上がった陰茎にその手を這わせ、つっと尻たぶの間に滑らせた。ぬとっと滑りがよくなった人差し指が簡単に後孔に入り込む。
 イヴァンを見やれば、若干表情が強張っているものの前回ほどの痛みを感じてはいないよう。

「平気かい・・・?」
「う、ん」

 そのまま抜き差しを繰り返し、ゆっくりと時間をかけて解していく。中は熱く、入り口はきつく締め付けるのに先へ進めば柔らかく広がった。
 緩んだ隙にもう中指と薬指を滑り込ませた。ひときわ高い声が啼き、イヴァンが両手で口元を多い小さく震えた。
 散々いじくられ濡れた朱い突起、勃起した陰茎の先からは先走りが溢れ、尻の奥が己の指先を何本も飲み込んでいた。淫猥な光景にくらくらと眩暈がして、ズっと下腹部で膨れ上がるものを感じた。
 張りつめたズボンの前をくつろげると、アメリカの太ももにイヴァンの手が触れた。

「アル、フレッドくん・・・も、う、いいからっ、挿れて」
 
 弱々しく囁かれた声が鼓膜を突き抜け脳へ届くころにはイヴァンの両脚を肩へ担ぎ上げていた。
 一切刺激など与えていないというのに固く勃ち上がり準備万端な分身を後孔へひたりとあてがう。

「んんっ」

 十分に解れていないそこは未だきつく、腰を押し進める度にアメリカを締め付けた。イヴァンは苦しそうに浅い呼吸を繰り返し、ぎゅっと目を瞑っている。

「イヴァン、イヴァン・・・俺を見て」

 メガネはベッドの上に無造作に投げ出されている。わずかに歪んだ視界を埋めるために顔を近づけようと前に倒れれば、担ぎ上げたイヴァンの下肢をさらに折り曲げてしまい繋がる後孔に圧し掛かった。

「だめ、っふ・・・はいら、入らな、いっ」

 アメリカの膝の上で強く握られた手がカタカタと小刻みに震えていた。すっかり萎えたイヴァンの陰茎を撫で、苦痛を和らげようとやわやわと揉んでやる。へその下がひくりひくりと動き、それに合わせて内壁がきゅっと絡みついてきた。
 次第に扱く手が激しくなるとだんだんと固さを取り戻し、締め付けていた力が緩む。見逃さずに奥深くまで一気に穿った。

「ぁあ!、あっあ・・・あ・・・」

 苦しげに酸素を求めてはくはくと口を開閉するイヴァンに覆い被さるようにして胸の上に耳を押し当てた。
 突き上げられるたびに、短い悲鳴をいくつも上げてイヴァンがアメリカの頭にしがみ付く。痛みと圧迫感が大部分を占め、快楽は性器を扱かれ強制的に与えられているものだけ。それでも、アメリカの肌に触れていることが、イヴァンを満たしていた。

「――っあ、あ・・・」
「・・・はっ、あ、イヴァン・・・イヴァン・・・」

 胎で果てずるりと引き抜くと、赤く充血した後孔と陰茎の間で粘ついた白い糸が垂れていた。
 少しだけ上体を起こして見下ろせばイヴァンのへそ回りがべっとりと濡れていた。射精の余韻で昂ぶったまま、精液で濡れそぼった腹が不規則にぴくぴくと痙攣している。

「大丈夫・・・かい」
「ん・・・」

 朦朧としているのか虚ろに双眸を開き返る声は曖昧なものだった。
 汗で額に貼り付いた滑らかなペールブロンドに指を通し、優しく払う。頬に手を当てすっと撫でれば、イヴァンの表情が安堵にゆるんだ。

「・・・あるふれっど君・・・?」

 たどたどしく呼ばれた名前を指す人間が自分自身でないことに気づくと無性に頭を掻き毟りたくなった。『どうして、君はロシアじゃないんだ。イヴァン』喉の奥で吐露された嘆きが、涙となって双眸からあふれ出す。
 イヴァンの眼から隠すように、首筋へ顔面を埋め込んだ。
 アメリカとイヴァン。二人はあまりにも近くて、途方に暮れるほど遠かった。

「・・・泣いてるの?」
「まさか・・・ヒーローは、一人じゃ泣かないよ」

 強がって吐き出した声は湿っぽかった。

「ふふ、じゃあ笑った顔を見せてよ」

 鼻をすすり、顔を上げる。慈しむような眼差しが柔らかくアメリカを見つめていた。

「・・・君みたいにかい」
「・・・うん、僕みたいに」

 何気なく視線を漂わせれば、すっかり忘れ去られたコンドームが淋しそうにぽつりと転がっていた。

 

42

 瞼を開くと、目の前に淡い金糸がもさもさと広がっていた。
 鼻先がすっぽりと埋まるくらい密着していて鎖骨の辺りに寝息が当たり、くすぐったさに身を捩ってみるが大して体勢は変わらず、どうやらイヴァンがこれでもかというくらいしがみ付いているようだ。
 アメリカはアメリカで、いつのまにやらイヴァンの背に回した両の腕が滑らかな地肌を拘束していた。今頃ベラルーシと瓜二つの妹に髪の毛でぐるぐる巻きにされる夢でもみているかもしれない。

 最後の方はあまり覚えていなかった。意識が途切れる限界まで抱き合って、そのまま眠りについたのか。イヴァンにいつまで服を着ているのと不満を口にされたところまでは記憶にある。
 生まれたままの姿のイヴァンに、前を寛げただけの自分。倒錯的な対比に興奮したことは否定できず、けれども、裸で触れ合う心地よさは殊更アメリカを昂ぶらせた。
 ティーンエイジャーらしく、頭の中がもんもんとお花畑に彩られると呼応するように下腹部があったかくなってくるわけで。
 そっと背骨に沿って這うように指先を滑らせる。眠りの中にあるイヴァンの肩口が、小さく跳ねた。

「イヴァン、朝だぞ」
「・・・・・・」
「なあ起きて」

 つむじ、額、鼻のてっぺん、バードキスを降らせながら唇へ辿り着く。
 むずかるように首を少し引っ込めたイヴァンに焦れて高い鼻にやんわりと噛み付いた。かじかじと甘噛みを繰り返しているうちに、うーだとかあーだとか意味を持たない声が漏れ始め、とうとうイヴァンの眉間に皺が寄る。
 ゆっくりと半分だけ開いた双眸がきょろきょろと彷徨い、現状把握に必死だ。

「・・・アルフレッド君、何をやってるの」
「イヴァンを起こしているんだぞ」
「ふあぁ・・・まだ寝ていようよ」
「昨日の続きをしたくてね」
「無理だよ。あのね、昨夜どれだけしたと思ってるの」
「・・・・・・」
「そんな顔してもだめだよ。もう疲れてくたくただよ」
「俺は勃つよ」
「そんな答えが欲しかったわけじゃないんだよ」
「イヴァ・・・んぐ」

 アメリカの批難を封じ込めるようにイヴァンが唇を合わせた。離れ際にちゅっとリップ音を鳴らしがてら僅かに吸われ余韻が残る。

「おやすみ」

 すっかり二度寝の体勢に入ったイヴァンがアメリカの腕の中で丸くなり、すぐにうんともすんとも言わなくなる。
 聞こえてきた安らかな寝息に、アメリカはほんの僅かに硬度を増しつつあった下半身に憐憫の眼差しを送った。


 この世界でイヴァンといられる最後の日、特別なことなんて何もしなかった。ありふれた学生が恋人と過ごすありふれた休日。不自然なまでに穏やかで、ただただじゃれ合うだけだった。
 アメリカは自分のことをイヴァンに話さなかった。不確定な未来と不安定な存在のアルフレッドという名の己をどう説明すればいいのか分からなかった。
 例えば話したとして、イヴァンのことだから真顔で病院に引きずって行くか、悪ふざけだと思い窓から放り投げるかの二択だろう。
 でも、そんなのは後からくっつけた詭弁で、単にイヴァンの翳った表情を見たくなかっただけなのかもしれない。

 イヴァンの微笑む顔が好きだった。輪郭がふやけて、心なしか甘くなった声音に名前を呼ばれるのが好きだった―どうせならアメリカと呼んでほしかったけれど。
 抱きしめた胸に柔らかな谷間なんて見当たらないのに、重なったところからじわじわと幸せが広がっていった。イヴァンもそう感じているといい。

「イヴァン」
「なあに」

 マフラーをひっぱり背丈をおんなじにする。触れ合うだけのキスをして、ぎゅっと抱きしめた。

「また・・・月曜日に」
「うん、また月曜日にね」

 イヴァンは笑っていた。アメリカも、笑った。


 七月十日、月曜日。
 アメリカはその日、少しだけ早起きをした。
 いつも通りに身支度を整え、寝坊すれすれの兄弟は自ら目が覚めるまで放っておく。
 寝癖を付けたまま飛び起きてきたマシューをテーブルに付かせ、用意しておいた朝食を一緒に食べた。
 ゆっくりと、のんびりと咀嚼するマシューを眺めながら、元の世界に戻ったら久しぶりにカナダの家に泊まって一晩中ゲームでもしようかと思い立つ。

 この世界を初めて夢見たあの日。
 マシューより一足早く家を出た“アルフレッド”は電車の中でアメリカとして覚醒した。

「アルフレッド!そろそろ出かけないと遅刻だよ!」

 そろそろだろうか。意識にも身体にも異変は感じられなかった。
 マシューと連れ立って玄関へ向かう。ドアノブを捻り開け真夏の熱気を迎え入れた。

「あっ・・・!忘れ物!アル、先に駅へ向かっていて!すぐに後を追いかけるから!」

 そう言ってくるりと踵を返したマシューへアメリカが声をかける。

「マシュー」
「なんだい?急がないと・・・っ」
「マシュー。君はどこの世界でもいい兄弟だ。イヴァンとフランシスをよろしくな」
「えっ・・・アル」

 マシューの瞳に、ぱたりと閉じられたドアが映った。

 何もない真っ白な世界がアメリカを覆い、眩さに目を瞑る。
 次に瞼を開いた時には、見慣れたベッドの上だった。