25

 学生服を身に纏い、ぐっと幼さを増したイヴァンを見つけ、怖気づきながらも名前を呼ぶ。今は俺も高校生。もっぱら呪文と化した言葉を染み込ませるように口の中で呟いた。

「試験どうだった?」
「完璧さ、俺はヒーローだからね」
「んーヒーローの部分はよく分からない」

 笑顔できっぱりと言い切られる。周囲には、帰宅する生徒が賑やかに行き交っていた。最終日の試験が終わり、明日は教員の為の試験もとい採点休みだ。
 いくら最高学年で、最もストレスを溜め込む学期末試験の結果が明後日に待ち構えていようとも、ようやっと試験勉強から開放された顔は思春期を満喫する輝かしい表情に戻っていた。

「イヴァンこそどうだったんだい?」
「まあまあかなぁ」
「お前ら、いつの間にそんな仲良くなったの」

 にょき、とイヴァンの背後に生えたフランシスがアメリカを見る。暑苦しい長髪はマシューのようにさらさらで、冷房が効いた教室の中で持ち主の動作に合わせて優雅に靡いていた。

「フランシスの知らない間に、さ」

 したり顔で答えれば、フランシスは両手で顔を覆い大げさに泣きまねをする。

「お兄さんを除け者にしないで!」
「除け者になんかしないよ、フランシス君大好き。もちろんマシュー君も」

 そう言って、イヴァンは初めてアメリカの後ろに視線をやった。けれど、そこにはマシューの姿はなく、同じ柄の学生服が左右に流れるばかりだ。

「イヴァン・・・!アルフレッドも、もっと俺を愛してよ!」
「やーなこった。マシューなら先に帰ったよ、今日はメイプルシロップ味のアイスが駅前の露店で新発売するからね」

 限定100個だってさ、と付け足すとフランシスが顔を歪ませた。

「この時間だと厳しいかもね」

 肩を竦めてマシューの嘆く様を先読みするフランシスに、アメリカはふと閃いた。そうだ、フランシスなら知っているんじゃないか。
 考え付くやいなやフランシスの腕を取り、イヴァンから少し離れたところで内緒話を開始する。

「なあフランシス、イヴァンの・・・お・・・じ」
「イヴァンの、叔父?」

 語尾を詰まらせたアメリカに、フランシスがおうむ返しをした。
 イヴァンの叔父であるジョチ・ウルスについて聞こうと思ったが、聞いていいのかどうか戸惑った。なにせ、イヴァンが直々にストップをかけた話だ。よほど知られたくないのだろう。
 背後でぽつんと棒立ちするイヴァンをちらりと肩越しに見れば、む、と若干眉を顰めていた。視線がかち合うと、ねぇ、と口を開いて近寄ってくる。

「フランシス君と何のお話をしているの?」

 僅かに不機嫌さを匂わせた声にフランシスがやれやれと笑った。

「お前の話さ、イヴァン」
「僕?僕のお話なのに、僕は仲間に入れてもらえないの?」
「お兄さんは一向に構わないさ、お兄さんはね。だから俺に向かってブリザードらしきものを向けるはやめて!」
「なんのことかなぁ」

 ははは、と遠い目をし始めたフランシスが何とか持ち直す。コントのようなじゃれ合いが終われば、話を打ち切りたいアメリカと、不思議そうなイヴァン、それと自分の立ち位置をいまいち把握しきれないフランシスが向かい合ってトライアングルを描いていた。

「・・・ウルスさんのことさ」

 口火を切ったのはフランシスだった。目に見えてたじろぐアメリカの横でイヴァンがマフラーに隠れた口をへの字に曲げる。

「ウルスのこと?」

 そして、二対の目は微かに顔を強張らせたアメリカへ。

「なんでそんなに動揺してるんだよ、ウルスさんがどうかしたのか?」

 フランシスはなんでもないようにその名前を呼び、笑っている。アメリカのバラエティーに富んだ脳内でシュミレーションされたイヴァンとウルスの関係は、それこそ泥沼状態だ。決して笑いながら話せる内容ではない。それとも、フランシスはウルスをそれほど知らないのか。

「アルフレッド君?ウルスがどうしたの?」

 イヴァンもフランシスと同じく、特にわだかまりもなくウルスと呼んでいる。催促され、じれったくなった。

「君が!・・・家を出た理由を・・・言いたくなさそうだったから」

 言葉尻がどんどん萎んでいった。どうせなら身体ごと萎んでしまえと投げやりになる。

「だってさ、イヴァン」
「・・・えぇ、そんなことないよ」
「え?だって、話を遮ってテレビをつけたじゃないか」
「テレビが見たかったんだよ、そう言ったじゃない」

 いよいよおかしい。アメリカは自分の早とちりに気がついた。もしかしなくとも、ことは全く深刻ではなかったのだろうか。

「家を出た理由ってあれだろ?ハグとかキスとか」

 微笑ましげにフランシスがにやり顔を作る横で、アメリカが目を瞠った。もの問いたげなアイスブルーを受け、イヴァンが口を開く。

「・・・ウルスってば、未だにハグもキスもするんだよ。姉さんや妹・・・も凄い剣幕で受け入れているけど、僕は男だしもう大きいのに恥ずかしいでしょう?小さい頃ならともかくさ」

 なんとも外見にそぐわしい理由に、どっと力が抜けた。アメリカに住む家族間であれば普通のことだ。ただ、この世界の基準がどの国に当て嵌まるのかは不確かだし、アメリカ自身にイヴァンがいうような叔父にあたる家族と呼べる人物がいないので曖昧に頷くしかない。試しにイギリスたちと満面の笑みでハグをする自分を思い浮かべるが、寒気が走るだけだった。

「愛されてるねぇ、特に妹に」
「怖いことを言わないで」

 再びじゃれ始めた二人を残し、アメリカは難しい顔をして腕を組む。
 家を出た理由が、家が遠いことと叔父の愛情行為だとして、だとすれば、あの時の顔はなんだったのか。表情を曇らせ、淋しいだとか哀しいだとかを詰め込んで一杯一杯だった、あのイヴァンは。
 不便だろうと恥ずかしかろうと、一人が嫌なら家に戻ればいい。少なくとも仲が良い家族がいるんじゃないか。世界中で一人ぼっちだと言った一昨日のイヴァンを思い出し、胸がきゅうと痛んだ。

 

26

 電車を降りる頃には、頭上に黒いわたあめが連なって、温度も気分も急降下させた。

「あそこにいるの、マシュー君じゃない?」

 イヴァンが指差す先に、ベンチへ腰掛けアイスを舐めるご満悦な兄弟の姿を見つけた。マシューの手には、髪の毛に負けないほどの甘そうなハニー色のアイスが。午前終わりで、ランチを食べていないアメリカの胃がもぞりと動く。

「マシュー!一口くれよ!」

 必要以上に張り上げた大声は、駅前に行き交う人々を何事かと振り向かせ、普段から注目され慣れていないマシューが真っ赤になってアメリカを叱咤する。あげないよ、と渋面のまま大急ぎで残りのアイスを口の中に放り込んだ。

「兄弟喧嘩はそこまで、早く帰らないと雨が降るぞ」

フランシスの口が閉じた瞬間、ぽつんとイヴァンの瞼に雨粒が跳ねた。

「さっきまで晴れてたのに」

 顔をゆがめたマシューが三人の下へ走ってくる。あーあ、とイヴァン。
 ぽつりぽつりと次第に勢いを増していく雨足が四人の背中を後押しした。この分だと、アメリカとマシューがジョーンズ家に着く頃には全身を丸洗いされたようにびっしょりと濡れそうだ。
 住宅街を駆ける四つの明るい頭が、徐々に濡れて重たくなってくる。もうすぐ、駅から一番近いイヴァンの家。

「っ、はぁ、はぁ、ね、僕のおうちに、よる?」

 息も絶え絶えにイヴァンがフランシスを見やる。ほんの一瞬、残念そうな表情を浮かべたアメリカを目ざとく認めた自称世界のお兄さんが、人好きのする顔立ちで愉快に笑った。

「邪魔なんてしないよ、なあアルフレッド」
「・・・なんのことだい?」
「おいでマシュー、お兄さんが最高のランチを作ってあ・・・げる」

 フランシス直々のご指名を受けたマシューといえば、上体を前へ倒し、膝に手を置いてゼーハーと肩で息をしていた。へ、とずれた眼鏡を押し上げながら顔を上げる。そんな後輩に苦笑いを溢し、マシューの腕を取ってアメリカたちに手を振った。

「また明後日な!」

 自分の魅せ方を熟知するフランシスは、雨雲を歯牙にもかけずに、どこからともなく花びらを散らす。呆気にとられるまま二人の背中を見送っていたアメリカが、一足早く我に返りイヴァンの手を握ってマンションへ引きずり込んだ。

「あーあ、びしょ濡れだ」

 すぐさま脱衣所へ直行し雨水が滴るワイシャツを脱ぎ捨てる。洗濯機に入れて、と指示を受け、素直に従った。

「君、マフラーが大変なことになってるんだぞ」
「・・・僕もそう思っていたところだよ」

 ぐったりと重くなったマフラーをことさら丁寧に解いていく。滅多に晒されない首筋へ、ペールブロンドから落ちた雨粒が伝った。肌の上を凹凸に沿って、つっと流れるその筋が、目の毒で頭ごと視線を逸らすがイヴァンは気づかない。

「軽くシャワーを浴びたら?その間に代わりの服を探してくるよ」

 折り重なった布の一角からバスタオルを一枚抜き取ると、アメリカの返答を待たずに脱衣所のドアを閉めてしまった。置いてきぼりをくらい唖然とするも、地肌に貼り付く下着やズボンが気持ち悪くて、すぐさま脱ぎ去る。投げ入れた洗濯機の底から、べしゃりと重い音が聞こえたがすっぱり無視をして浴室に足を踏み入れた。
 リビングと同じく、シンプルな作りに必要最低限のアメニティグッズが置かれているだけ。シャワーのコックを捻れば、生ぬるい水が、べとついた雨水をさらいながら排水溝へ流れていく。テキサスを棚に置き、シャンプーのボトルに手をかける。プッシュした瞬間、ふわりと香ったシトラスに、思わず口端を引き結んだ。

 イヴァンが用意したやっぱり地味な色のハーフパンツと左胸に黄色の丸いスマイルが申し訳程度にプリントされたノースリーブを着てソファに寝転がる。
 そわそわしながら、ちらりとズボンに目をやった。買い置きの下着がなければ、今頃、イヴァンのものを履いていたのだろうか。イヴァンのことだから無情にも、湿った使用済みの下着をもう一度履けばいいよ、といつもの笑みで言い捨てたかもしれない。
 手持ち無沙汰に携帯電話を取り出して、マシューに繋げた。

『あっ、アル』  

 マシューを呼び出すアニソンが、ワンフレーズを歌いきる前に、かちゃかちゃと食器が擦れる音を背景に通話が繋がる。

『着替えはどうしたの?』
「イヴァンのを借りたよ、そっちはどうだい」
『ノープロブレムさ』
「そうかい・・・あーっと、フランシスには余計なことは言わなくていいけどさ」
『なんだい?』
「その・・・イヴァンのところに泊めてもらうから」
『へぇ、本当に仲良くなったんだね』
「まあね」
『今日はイヴァンさんに、ちゃんとオッケーをもらった?』
「・・・・・・」
『っアルフレ』

 ぷつ、と途切れる。正確には、切った。

「誰かとお話してたの?」

 こしこしと髪の毛にタオルを擦りつけながら、イヴァンがリビングに入ってきた。シャワーで温まった肌が薄いピンク色になっている。

「ああ、マシューとね」
「ふーん・・・雨、もう少しで上がりそうだね」

 くるりと、窓の方へ方向転換した。どうするのと聞かれ無意識のうちに、まだ帰りたくない、と呟いた。「そう」素っ気無い声とは裏腹に、振り向いたイヴァンの口元は、綺麗に下弦の月を描いていた。

「昨日の残りでよければ、ポトフがあるよ。食べる?」

 その一言でランチタイムに突入し、野菜がたっぷり浸るスープに舌鼓を打ちながら、ゴウンゴウンと軋んだ声を漏らす洗濯機が、終わりを告げるメロディを歌い上げるのを二人で待った。