01
僅かに開いた重厚な扉の奥から漏れてくるのは、人工的な白い明かりに日常茶飯事である言い合い。
皮肉屋の異名を誇るイギリスに対して、珍しく声を荒げて対抗するのは天敵ロシア。牽制しているのか妙な作り声を響かせている。
休憩時間くらい大人しくできないのかい、せめて廊下でやってくれよ。そんな意図を含めた溜め息を溢しながらアメリカはノブを掴んだ。
「暑苦しいんだよ、このメタボ野郎」
「僕にメタボどうの言う前に、自国の肥満率をどうにかしたらどうなの?ねえメキシコ君に続く第三位君」
「んだと」
「なんなの」
門を潜りガラス一枚を隔てたスカイブルーに映ったのは、青筋を浮かび上がらせた巨体がイギリスを凝視し、視線の先にいた特徴的な眉毛を持つ紳士が懐から星の付いた細い棒を取り出す光景だった。
とてつもなく嫌な予感がするから直ちに二人を止めろ。頭上に揺れるナンツケットを避雷針にした第六感が、そう告げていた。
しかし、彼らが各々の行為を完了する数秒のうちに、アメリカがある程度の距離を保つ二人の元へ瞬間移動するなんて芸当が出来るはずもなく。咄嗟に二人の間へ割り込み、ロシアに背を向けイギリスの方へ静止を伝える右手を振り上げた程度に終わった。
「 「 コルほあたコル 」 」
重なり合い怨み辛みが籠もった呪詛が鼓膜を震わせた。
思わず耳を塞ぎたくなるが、その前にイギリスの手に握られた金ピカなスターからもわっと溢れた白い煙に釘付けになる。そのままアメリカの方へ一直線に飛んできたその煙は、拡散して包み込むように纏わりついた。
「なんだいこれ!けほっ、イギリス!」
「アメリカ君、邪魔しないでよっ」
コートの袖を伸ばし鼻と口を塞ぐロシアが批難を喚きながら残る片手をぱたぱたと振った。アメリカも負けじと後ずさりながら腕に引っ掛けていたフライトジャケットを大きく波打たせる。
一分もしないうちにもやは跡形もなく消え去り、予想外の展開を越えイギリスとロシアの頭に上った高熱も少しは冷めたよう。
「本当に君は碌なことをしないね」
「な、なんで俺だけ」
「日ごろの行いじゃないの?」
「ああ間違えたよ、本当に君たちは碌なことをしないね」
「アメリカ君だけには言われたくないなあ」
舌の上で音を転がし嫌味を往来させていると、休憩時間を終えた国々が戻ってきた。時間厳守をモットーにするドイツが登場したことで、言い足りないと不貞腐れるイギリスとロシアはしぶしぶと席に着く。
議長国である日本のお経のような抑揚のない声を聞き流しながら、アメリカは手元に配布された資料に目を通していた。ふいに視界がブレて細かく連なる文字が蟻の群れのように滲んで見え、フレームの下に指を潜らせ目頭を軽く揉みほぐした。
朝の9時から始めた世界会議は、日本の采配によりスムーズに進んでいる。これほど遊びを挟まずに真面目な会議が進むのはいつ以来か・・・休憩をとったとはいえ、畏まった資料の束にそろそろ目も脳も嫌気がさしてきたのだろう。そういうことにしておいた。
オレンジ色の太陽がすっかり落ちてから、ようやく終結した世界会議。
頭上で組んだ両手を天井へ伸ばしながら欠伸を溢す。手早く帰り支度をまとめて周辺の国家への挨拶もほどほどに会議室を後にした。これから自宅へ帰らなければならない。
視界のブレは何度もアメリカを襲っていた。最初は二時間に一回。その次は一時間半に一回、一時間に一回・・・どんどん幅を狭めていく間隔に少々不安を感じる。ただ、ベッドに入り夢へ落ちる瞬間に似た軽い眩暈なので、眠気が限界に達しているのだろうと結論付け、原因について深く考えることはしなかった。
このままでは家に着く前に意識を飛ばしてしまいそうだ。ロビーへ降りる階段脇に設置してある自販機に近寄り財布を漁る。苦いブラックコーヒーでも飲めば少しはマシになる、とコインを投入し人差し指と中指をボタンの上に添えたところで背後から声がかかった。
「アメリカ?飲んでいかないのか?」
会議後は適当なバーに乗り込み夜が明けるまで飲み明かすことがしばしばだった。中でも今日は多くの国が集まる世界会議。久しぶりに顔を合わせた国家も少なくない。
「今夜はやめておくよ」
「そうか・・・ま、まあ別にアメリカがいなくても俺はどうでも」
「はいはい」
「そういや、さっきはよくも邪魔してくれたな!もう少しでロシアにあ―」
眉間に皺を寄せて喚き散らすイギリスを横目に、自販機から小さな缶コーヒーを取り出しプルタブを押し上げた。
両手で握り拳を作りながら必死に怒りを言葉にしているのだが、今のアメリカの脳内にはそれを理解できるだけの容量が残っていない。
窓から覗く外の天気を窺いながら黒い液体を一気に飲み干した。
「・・・おい、具合でも悪いのか?ふらついてるぞ」
「眠さMAXってとこだよ」
「ったく、気をつけて帰れよ」
「イギリスも飲み過ぎないように気をつけるんだぞ」
「余計なお世話だばか!」
身体が鉛のように重い。全身を這うダルさはじわじわとアメリカの思考を食いつぶしながら広がっていく。やっとのことでニューヨーク郊外にある家に着いたアメリカは、スーツも脱がずに寝室へ向かう。テキサスを外し枕元へ放り投げながらベッドに倒れ込み、ドロに沈み込むように眠り始めた。
02
気づくと電車の中だった。
ぱちくりと瞬きをして瞳孔を上下左右に移動させてみる。右手で掴んだつり革も仁王立ちした灰色の床も消えることはなく、ただただ金属を擦り付けるような振動と音が響くだけ。
窓ガラスの向こうに流れる景色は見覚えのないものばかりで、トンネルの中に侵入した途端、ぽかんと間抜けな顔が映った。左に流したブロンド、長方形のフレームの奥には真ん丸く見開いたスカイブルー、緩く締めたネクタイの下にアイロンがかけられていない白いシャツが覗いている。
いよいよおかしい。否、電車に揺られている時点で最高におかしいのだ。意識を失いかけながらも昨晩はベッドに辿り着いたはず。スーツを着込んだまま寝たけれど一人暮らしだから口喧しく怒られる心配はない。しかし、黒い背景に嵌め込まれた窓枠の中心には、記憶を打ち破り有り得ない現実が弾き出されていた。
これではまるで日本の男子学生のようではないか。もちろんアメリカは日本人ではないし、学生服を身に着けたこともない。辺りを観察してみれば、アメリカの履くズボンと同じ柄の布がちらほら目に入る。一体どいういうことなのか。うんうん唸りながら状況把握に悪戦苦闘していると、つり革を握る手とは反対側の手に、カードと携帯電話を見つけた。どうやら定期券のようだ。
「これは・・・日丸語?」
母国語である英語はもちろんのこと、会議や他国家との会話に使用する日丸語を習得済みのアメリカは不自由なく読み取ることができる。当たり前のように印字された表面に親指を滑らせながら首をかしげた。なにせ日丸語で書かれた定期券を見るのは初めてなのだ。
行き先を示した五つの文字を読み終わると同時にアナウンスがかかる。
「同じ駅の名前・・・」
定期券に書いてある文字と同じ名前の駅に到着し、同じ柄を持つ学生が動き出す。アメリカは彼らの後を追うように人の波を潜り四角い箱から抜け出した。その途端、むわりと不快な熱風が全身を包み立ち止まる。昨日まではコートを着込んで丁度いい位だったというのに。
じっとりと汗ばみ始めた肌に目をやっていると周囲に人気がなくなってきた。慌てるも時既に遅く、アメリカが着る制服と同じ柄の学生は一人も見当たらない。溜め息を吐きながらこれからを思索していると、聞き慣れた声で聞き慣れない単語が聞こえた。
「よおアルフレッド、マシューは一緒じゃないのか?」
声のした方へ視線をやると暑っ苦しい長髪が軽やかに揺れ、見知った顔が近づいてくる。見知ったとはいえ、アメリカの知る彼よりかなり若作りをしていた。何世紀か前に見た風貌だ。
「フランス・・・」
「あのね、アルフレッド君。お兄さんはフランスじゃなくてフランシス、一文字足りないの」
「アルフレッドって誰のことだい」
「・・・お前また朝までゲームしてたのか?ほどほどにしろよ」
アメリカの肩をぽんと叩きながらフランスらしき男がスタスタと通り過ぎる。
アルフレッド、フランシス、マシュー。アメリカの知人リストと照合しても合致する人物は浮かび上がらない。けれど目の前の男がいうには、アメリカはアルフレッドでフランスより十歳ほど若々しい彼はフランシスでアルフレッドと一緒にいないとわざわざ確認されるようなマシューというやつがいるらしい。
「アル!置いてくぞ!」
どうせこのままプラットホームにいても行き場はないのだ。絡まったままの疑問は一先ず放置してフランシスへ追いつくために歩みを進めた。
五分もかからずに到着した校門を潜り昇降口に辿り着く。なんで着いてくるんだと苦笑いするフランシスによると、彼は三年生でアルフレッドは二年生、ついでにマシューも二年生らしい。
フランシスに言われるがまま二年生を示す青に彩られた下足ロッカーへ向かい、二年A組の一番端にアルフレッドの名前を見つけて靴を履き替える。
「俺は用があるから先行くな」
「あ、ああ。助かったよフラ・・・フランシス」
キザったらしいウィンクを残してフランシスが廊下の影に消えていった。
とにかく二年A組の場所を探さなくては。下足ロッカーを抜けた先にある階段の壁にフロアの地図を発見する。現在地が○で塗りつぶされ、一階には保健室に技術室に・・・トイレ。
「あれ?トイレが一つしかない」
まさか。慌てて周囲を見渡すが人の群れの中には、お目当ての欠片もない。脳内を過ぎった嫌な予感が確信に変わったところで何度目になるか分からない溜め息を吐いた。
「男子校・・・か」
右を見ても左を見てもムサイ男だらけ。保護者の目が光る子供をどうこうしようなどという気はないが、花があるにこした事はない。
「アル!もーなんで先に行っちゃうんだい!」
「カナっ」
言いかけて咄嗟に口をつぐむ。きっと彼もアメリカの知る名を持ってはいない。しかし、兄弟の顔を見つけてドッと安心感が溢れ出した。同時にああそうか、と合点がいく。
「かな?かな・・・かな・・・かなり、お腹が減った?」
「いや、なんでもないんだぞ。マシュー」
「そう」
アメリカの言った単語に特に異質な反応を返さないカナダを見ると予想が当たったようだ。
この奇妙な世界でもアメリカとカナダは兄弟で、兄弟ならば一緒に登校してもなんら不思議ではない。
「教室行こうよ」
マシューの催促に肯定を返し、アメリカは“アルフレッド”の一日を開始した。